かつてイギリスの植民地だった香港は、1997年7月1日中国に返還され、現在は「中華人民共和国香港特別行政区」として独立した自治を行なっている。
東京都の半分の面積に約700万人の人々 香港人が暮らしている。
私にとって これまで香港は、海外取材の中継点 いわゆる飛行機の経由地としての場所だ。
いつも香港で感じることだが、物価が高い。
1香港ドル=約16円 (1中国元=約16円)
中国・広州など三ツ星のホテルの1泊の料金は、200元である。(日本円で3200円)
これが香港のビジネスホテルの1泊の料金は、500香港ドル(日本円で8000円)
香港で中華料理を食うと2人で7~8000円ぐらいかかってしまう。
これが中国本土だと2人でたらふく食っても3000円ぐらいだ。(北京や上海は、高い)
2月、通信社の記事によると香港の物価水準は、中国本土より50%高いことが判明したそうだ。
足裏マッサージも日本並みの料金である。
ちなみに広州の三ツ星ホテル内の足裏マッサージは、
1時間半で39元(日本円で625円)
日本で足裏マッサージを受けたら1時間半で5~6000円はかかるのでは?
安く旅行をしたい人は、香港からすぐの中国本土 シンセンや広州に行くとよい。
だから私は、物価の高い香港に・・・滞在したくない。
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by york88tvp
| 2008-03-12 20:16
| 中国
災害救助犬の派遣活動を行う「日本レスキュー協会」が財政難で危機的状況が続いていると連絡があったのが今年の1月。
私が、初めて災害救助犬と出会ったのは、2005年10月8日発生した パキスタン北部大地震。
死者数は、約9万人。家を失った人は、370万人でパキスタン史上最悪の被害を出した。
そんな被災地に日本の災害救助犬 「チャーリー」「リキ」の2頭が崩れたがれきの中から必至に生存者の捜索を行っていた。
72時間以内に救出できるかどうかが、生死の境と言われている。
だからこそ、人間よりも100万倍鋭い嗅覚を持つ犬が、捜索に必要とされるのだ。
しかし、隊員たちが被災地に入ったのは発生から4日後だった・・・。
私たち取材班もビザ発給関係で現地入りが遅れ、合流したときには、隊員3名が食中毒で寝込んでいる時だった。慣れない海外派遣と非衛生な国では、食当たりに注意しなければならない。
私も発展途上国へ行くといつも「下痢ピー」になっている。
隊員たちは、1日寝込んだ翌日には捜索活動を再開した。
しかし、結局 生存者発見にはいたらなく、遺体ばかりの発見となった。
彼ら「日本レスキュー協会」は、いつ起こるかわからない災害に備えて日々、訓練を行っている。
1頭のレスキュー犬を育成するのに、年間約150万円が必要だ。
日本レスキュー協会の運営は、主に募金や寄付で支えられており、多くの人に協力を求めている。
運営費の大半は募金頼りだが、支援企業から協力が打ち切られるなどして財政難となり、月200万円の赤字を出している。
このままでは飼育している救助犬の頭数を減らさなければならない状況で、隊員や救助犬が、訓練の時間を割き休日は、街頭で募金を募っている。
私も、レスキュー犬のステッカーを買うなどささやかであるが、協力している。
みなさんの手で、レスキュー犬を支えて・・・。
日本レスキュー協会:http://www.japan-rescue.com/
寄付の申し込みは、
日本レスキュー協会 (TEL072・770・4900)の郵便口座(00930・2・22901)へ。
愛媛県宇和島市の臓器売買事件をきっかけに、万波医師による病気腎移植問題など、これらの背景にあるのは、深刻なドナー(臓器提供者)不足が考えられる。
日本には糖尿病患者が約220万人、うち26万人が人工透析を受けている。
これに対し、生体腎移植が行われたのは一昨年834件だけ。
臓器移植法やドナーを親族に限定する日本移植学会の倫理指針があるため、
日本では移植手術を希望しても約30人に1人しか移植のチャンスがない。
こうした国内の“供給不足”から、移植希望者は海外へと向かう。
肝臓や腎臓の移植を受けられるのは、中国とフィリピン
アジアの臓器売買の実態を研究する岡山大学大学院 医歯薬学総合研究科の粟屋教授は、去年の5月にフィリピンに渡り初めての大規模な調査を行った。
フィリピンでは、臓器売買が規制されておらずスラム街の貧困者が金目当てに自らの
臓器を売って(臓器提供者)生活費を稼ぐ現実がある。
その臓器提供には、闇ブローカーの暗躍などが見え隠れしていた。
フィリピン政府は現在、腎臓移植を希望する外国人患者が、ドナーへの医療費と生活支援費などを「謝礼」として負担すれば、臓器を提供する制度を検討している。
公認されれば日本から約1万人の患者が臓器移植のためにフィリピンに渡航するといわれている。
今回、フィリピンで臓器売買の実態調査を行う粟屋教授は、マニラ港近くにあるスラムに居住する臓器提供者500人が対象で、月収や臓器摘出病院、疾患名、謝礼金額、その使い道などを聞き取り、移植患者(レシピエント)への感情や臓器を売った行為の評価なども調査した。
ゴミの中で暮らす人々
危険と背中あわせのスラム街を歩き実態を調査する粟屋教授にカメラが密着。
臓器の商品化が進む中、現地の移植に対する考えや、貧しさゆえに臓器を売る人々にカメラが迫った。
(Photo by YUKI)
2007.11.29 これまでの人生で忘れられない日となった。
フィリピンで臓器売買の取材を行っている時だった。
テレビからニュース速報が流れたのだ。 「マニラでクーデターが発生」
早速、通信社のカメラマンとTVカメラマンと私の3人で現場に向かうことになった。
移動中に現状についてリサーチを行うと
反政府将校らが、武装してマカティの高級ホテル・ペニンシュラで立てこもっているということだ。
現場に着くと数名の警察官がホテルの前に立っていた。中に入ると約30名の武装した反政府兵士らがホテル内を占拠していた。自動小銃を持ちにらみを効かせていた。
立てこもったのは、2003年の反乱事件の首謀者とされる元海軍大尉のトリリヤネス上院議員と、2006年のクーデター計画に関与したとして逮捕されたダニロ・リム准将。
二人は反乱罪に問われ、この日、マカティ市の裁判所に出廷したが、支持者とみられる武装兵に守られて裁判所から逃走。支持者らとデモ行進した後、ホテルに立てこもった。
ホテル内では、フィリピンのメディアをはじめ世界各国のマスコミが関係者ら約200人が押し寄せ取材を行っていた。
日本のメディアは、通信社と新聞社の数人。テレビ関係者の日本人は、私とカメラマン、そして通信社カメラマンの3人だけでした。
上院議員らはホテルで記者会見を行い、アロヨ政権の退陣を要求。
かつてマルコス独裁政権を倒した「ピープルパワー革命」のように、「政権を倒すため一緒に立ち上がろう」と呼びかけたが、市民や国軍からの呼応はほとんどなかった。
ホテル内で取材活動を行っていると 日本大使館関係者から連絡が入った。
「ホテルの外は、一帯を封鎖して400~500名の警官や軍隊を配置し装甲車が5~6台が配備されている」と言う。
警官の突入をホテル内から取材しよと考えていたが、銃撃戦となれば命に関わる危険な状況になると・・・。
すぐさまカメラマンや現場にいる日本人に声をかけてホテルの外に退避した。
ホテルを出て10分後、2~3発の銃声音の後に装甲車がホテル前のエントランスで威嚇射撃を開始。ホテル前にいる警官や兵士、そしてメディア関係者たちに緊張感が走った。
「反政府兵士らが反撃に出て、流れ弾が飛んでこないか?」
催涙ガスの爆発音と威嚇射撃の響く中、私は Nテレのニュース○ア○タイムで生中継のリポートを送っていた。
夕方のニュースでは、5回の中継に対応し、夜のニュースZ○ROでは、トップ項目でリポートが流れた。これまでディレクターとして様々な取材を行ってきたが・・・。
ジャーナリストになった日
として忘れられないことだろう。
今回のクーデターは、威嚇射撃と催涙ガスなどで威嚇した後、特殊部隊と装甲車がホテル内に突入し、主犯格2人のほか、一緒に立てこもったギンゴナ元副大統領らも逮捕され、ホテル内で取材していた報道陣も警察に一時拘束された。
もしホテル内にいたら 逃げ惑っていたことだろうと 事件が解決してほっとした。
去年の夏から中国の食の安全に関わる取材を続けている。
夏からこれまで5回も中国に渡航しているが、なかなか思うように取材が進まないのが現状だ。
先月下旬、フィリピンに行く前に香港経由で中国に入った。
食品メーカーの工場の撮影のためだ。
今回の取材にあたり、前もってアポも入れていた。それが・・・。
工場の入り口で、STOP 守衛室から先に進めないのだ。
取材先の担当者に内線電話で連絡をとると 「私には、取材を受ける権限がない」と返事が返ってきた。 日本からアポを入れているのに突然の取材拒否。
本当に信じられない。
毒餃子事件の真っ只中の出来事だった。 私の取材は、餃子とは無関係なのだが・・・。
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by york88tvp
| 2008-03-06 19:01
| 中国