夕日を受け、気持ちを新たに3週間の旅がはじまった。
世界で3番目に広い島に向かっている。
ボルネオ島。熱帯雨林ジャングルが広がり希少動植物の宝庫として知られる。
また、独自の文化をもつ先住民族との出会いもある。
マレーシアで2番目に大きな街、コタ・キナバル。通称KK。
ここが旅の起点となる。
これから、どんな出会いがあるのか?
楽しみだ・・・。
地震が発生して以来、ちょうど10日が経ちましたが、日々、過去に経験をしたことのない新たなことが次々に起こっています。そのような深刻な状況の中で、この難局を乗り越えるべく、全国民が一丸となって取り組んでいくことが重要と考えています。
震災から9日ぶりに「おばーちゃんと孫」の2人が救出されました。本当によかったです。
さらに行方不明の方々の救出を心から祈っています。
6日間、岩手県内の被災地に入って取材を行いました。
これまで、イラン・パキスタン・インドネシア・中国での大地震発生後、現地に入り取材を行いましたが、今回の東北関東大震災は、それらを上回る被害をもたらしていると感じています。
東北地方太平洋沖地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
黒い海のが襲った岩手県陸前高田市。
災害現場に入って2日目、捜索活動が行われる海沿いの地区へ
突然、レスキュー隊に無線が入った。
「5メートルの津波発生!直ちに高台に避難せよ」
我々も含め24名、全員が急斜面の崖を駆け登った。いつもなら、こんな崖、登れるもんかと考えるが、なんなく登れた・・・。
避難解除の連絡を受けては、また 避難命令。
これを4回繰り返し、海岸沿いの被災地に入った。
大津波。
家々は、跡形も無い。
生存者発見は、できず・・・。
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
一人でも多くの方の無事が確認され、 一日も早く元の生活に戻れることをお祈りいたします。
地震発生時、私は、打合せのため渋谷に向かって歩いていました。いきなり地面が揺れだし「地震がきた」と声をあげました。すぐに手持ちのカメラを出して大きく揺れる屋上に設置された携帯電話送受信塔を撮影しようとしたところ、バス停にいた60代のご婦人が「怖い」と言いながら近寄ってきたので「大丈夫ですよ、ここにいれば」と声をかけていたら撮影できませんでした・・・。
そして、翌日には、岩手県の被災地に入っていた。
不眠不休で、生存者発見を願い捜索活動を行うレスキュー隊の隊員たち。
「多くの命を救いたい」 心をひとつに捜索は続く・・・。
NHKスポーツ大陸の放送のお知らせです。
クロスカントリースキー新田佳浩選手の取材は、去年の11月からはじまりました。
やっとナレーション録りまで漕ぎつけました。
本日13時より石井正則さんのナレーション録りを行います。
NHKスポーツ大陸
がんばり続ける理由
~クロスカントリースキー 新田佳浩~
BS1 2011年 2月 26日(土) 午後 11時00分~
総合 2011年 2月 27日(日) 午前 10時05分~
バンクーバーパラリンピック大会のクロスカントリースキーで日本人として初めて頂点に立った新田佳浩、30歳。
日本選手団の主将という大役を務めながら、クラシカル10kmとスプリント1kmの2個の金メダルを獲得した。
新田は幼いころ、祖父が運転する農機具に左腕を巻き込まれ、ひじから先を失った。しかし新田はへこたれず、
自分が元気に活躍することが、悔いる祖父の、心の苦しみを和らげることにつながると考え、競技に励んだ。
1998年の長野パラリンピック大会から4大会連続出場。
「自分の手でおじいちゃんに金メダルを…」と挑んだバンクーバーで、見事その願いをかなえた。
新田には今、新たな目標がある。新しい命を授かったのだ。「生まれてくる子に戦う姿を見せたい」新田の新たな挑戦が始まった。
新田の走りの特徴は、上りの速さだ。外国人選手は、体が大きく体重が重い分、下りのスピードが速い。
しかし上りになると大きな体は、不利だ。そこで新田は小柄な体を逆手に、「上り」にこだわり、技術を身につけてきた。
当面の目標は、2月に開かれるジャパン・パラリンピック。前回2位に甘んじた大会に、バンクーバー大会の金メダリストとしてのプライドをかけ戦う。
番組は、スピードアップと下半身強化をテーマに、さまざまなトレーニングを取り入れ、汗を流す新田に密着。
小型カメラなどを駆使し、美しい走りと上りの詳細な動きをとらえながら、ジャパン・パラリンピックに挑む姿を追う。
新田さんをバンクーバーパラリンピックで応援した「日本マン」さんです。
旭川で開催されたジャパンパラリンピックに来て大声で新田選手を応援していました。ソチにも応援に行くそうです。
番組もよろしくお願いします。